怪談を浴びる会「温厚な隣人の狂った素顔」編の大阪連続殺人事件を検証!

好井まさお怪談を浴びる会 怪談
引用:好井まさおXより

前半では「病院で起こった、人食いバクテリア」について、後半は「親しくしていた隣人のおっちゃんが凶悪犯であった」ヒトコワ話を披露されました。

前半での病院はいろいろ調べたが残念ながら特定はできなかったです。
もしわかる人がいましたらご教示ください。

後半の凶悪犯に関する疑わしい事件を見つけましましたので解説します。

こちら20:30秒からになります

「温厚な隣人の狂った素顔」編

投稿者のお母さまが若いころに、Wikiペディアにも載っている大事件の犯人

とニアミスした超ど級の怖い内容となっている。

話の要点を簡潔に解説します!

お母さんの体験談概要

お母さんが23〜24歳頃 大阪の某アパートに住んでいた時の話。

お母さんは誰とでも打ち解ける明るい性格の持ち主で、毎日エレベータで会話を交わす仲のいいご近所のおじさんがいた。

おじさんは優しそうな恰幅のいいおじさんでいつも他愛のない話を交わす間柄だった。

ある日突然、おじさんが引越しをすることになった。
引っ越しの際にいつもより元気がない様子で歯切れが悪い感じだったが

少し会話を交わしたのを最後に別れた。しばらくして投稿者も引っ越しをしたとのこと。

その1〜2年後に刑事さんがお母さまに会いに訪ねてくる。その際「この人しらないか?」と写真を見せられる。

白黒で小さな写真だったので思い出せなかったが、以前住んでいたアパートの住民だと知らされ、「おっちゃん」だと気がつき非常に驚いた。
その当時の関係を聞かれ、他愛のない話をしていたことを説明する。

そこで「おっちゃん」が何をしたのか尋ねたところ。なんと、連続殺人犯であった!!

そこでお母さんは疑問に思う、2年程前の話で、その間2回引っ越した先までなぜ聞きに来たかと……

この犯人が所持していた手帳に、「そのお母さんのプライバシーにかかわる記載がびっしり書かれていた」と説明を受け、衝撃が走る!!!

詳しい内容は教えてもらえなかったが、お母さんのこと、ベビーカーにいる赤ん坊(投稿者)のこと、猫のことなどが書かれていたとか。。。

その後、死刑囚になり死刑執行されたとのこと!

この話を聞き、もしかしたら一家丸ごと狙われていたかもしれないと!身の毛もよだつ体験をした超ど級の体験談を披露した。

犯人の特徴

事件の画像

お母さんがWikiに掲載されている内容を確認し、断片的に覚えていることを述べている。

代車をよく使う人だった!

しっかり蓋をされた段ボールをよく運んでいた

窃盗したものなのか、段ボールに入るくらい切断されていたのか

この被害にあわれた方と一緒に近所の飲食店によく行っていたとの話。

投稿者が伝えたかった事

好井まさおさんが最後に注意喚起を行う!

「むっちゃ近くにそうい人おるよ」

人間死ぬまでに16人ぐらい殺人犯とに合うと言われている。

誰がそういう人間かわからないので脇は締めて生きてください!と話を締めくくった。

この話は30年以上前の話とのこと。

事件のキーワード

今回の話の中で出てきたヒントとなるワードを拾って、事件内容を特定していきたいと思う。

  1. 大阪
  2. 30年以上前
  3. 優しい、恰幅のいいおじさん
  4. 不本意で引っ越しをする?
  5. 連続殺人犯
  6. 手帳にはお母さんのプライバシー情報をびっしり書かれていた。猟奇殺人か?
  7. 死刑執行された
  8. 代車を使ってよく段ボールを運んでいた、窃盗品か段ボールサイズに切断していた?
  9. 近所の飲食店に仲間とよく出入りしていた

以上9点のキーワードを念頭に入れて調べてみたところ次の事件が浮かび上がってきた。

一番怪しき事件

それはズバリ「大阪連続バラバラ殺人事件」が一番疑わしい事件である。

1985年から1994年までのおよそ9年間で大阪市で4人の女性を1人の幼女を殺害し
幼女以外の遺体はすべてバラバラにされていた事件である。

遺体はすべて段ボールに入れて運び、遺棄していた。
加害者は温和で口も上手で、飲食店での評判が良かったともwikipedia上で書かれている。
下記の引用をご参照ください。

話に出てきたキーワードを鑑みてもこちらの事件が一番怪しいと思われる。

皆様の見解はいかがでしょうか。

事件
加害者の男K・Y1940年昭和15年)7月10日生まれ[5]愛媛県大洲市出身[6]。旅館経営者の息子として生まれ、地元で結婚して割り箸を旅館に卸す仕事などをしていたが、妻と死別してからは2人の子供を連れて事件の約15年前に西成区へ移住した[6]。盗品を飲食業の女性たちに破格の値段で販売して生計を立てていた。普段は温和で愛想がよく口も上手で、仕事上付き合いのあった飲食店・スナックの女性から評判が良かったが、知人たちからは「酒に酔うと金額のことで腹を立てる」「腕っぷしが強く急に怒り出す」「すぐに首を絞める癖がある」などの二面性も指摘されていた[7]
Kは1985年(昭和60年)5月下旬 – 1994年3月下旬にかけて大阪市内の自宅で女性5人を相次いで絞殺し、遺体を山中に遺棄した[3]。この間、Kは約20軒のマンション・アパートを転々としていたが、A・B・Cの3事件では当時居住していた西成区聖天下[注 1]の同じマンションが、D・Eの2事件では浪速区恵美須西の同じアパートがそれぞれ被害者の殺害現場となった[2]

引用:wikipedia

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